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第8話) 語学取得は自分次第

ブリスベンに到着した翌日から語学学校が始まった。この日は初日と言うこともあってホームステイ先のホスト・ファザー、お父さんのトニーが学校まで車で送ってくれた。その車中、このトニーの英語が全然わからない、話かけてくれるのだけど、もう100%分からないのだ。。。聞き取れなかったら「Sorry?」って言うのはアメリカで覚えたのだが、なんども「Sorry?」で、最後には「I’m Sorry」で「ごめんなさい」であった。

だいたい語学学校と言えばビルの中にあり、この学校もビルの3フロアーが学校で、そこを細かく教室に分かれていて、生徒の英語力に分かれてクラス編成をしている。全校生徒が300人くらいいる当時では大きな語学学校だった。

このクラス編成は、レベル0(低)からレベル6(高)まで分けられていて、やはりレベルの高いクラスへ行くと、日本人は極端に少なくヨーロッパ人が多くなり、逆に低いクラスだと日本人、韓国人の比率は格段と上がる。目指すは上のクラスなのだが、4週間ごとに学校内で試験を行い、60点以上取らないと一つ上のクラスには上がれないシステムだった。

入学日は毎週月曜日に設定され、毎週毎週、多くの新入生が世界中からやってくる。それにしてもアジア人の多さ、日本人の多さにビックリした、8割はアジア人、その半分は日本人だった。初日の午前中はオリエンテーション、学校についての規則や注意事項について新入生に説明をする。

当たり前って言えば当たり前なのだが、全て英語で説明をするのだ。「その英語が分からないから勉強しにきたのに・・・」なんて心の中でつぶやいたが、各国から集まっている生徒の言語の全てに同時通訳するわけもない、国連会議じゃないのだから。

そのオリエンテーションの中で、先生が何度も言っていた言葉、「いんぽーたんと」「でぃふぃかると」。何回も何回も出てくるけど、意味がわからず。僕は手帳にカタカナでメモを。。。

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<2002年2月のメモ- しばらくこのスタイルが続く、先生の発した音をカタカナで書きとめ、スペルを想像して辞書で意味を探した>


今思えば、どうしてこんなに知らない単語が多いのか笑えるくらいだったけど、これを一個一個虱潰しのごとく覚えていくしかないと覚悟した。

午後の試験を受ける。筆記試験と先生と一対一の面接。そりゃアメリカに、日本人社会の中に居たとはいえ3ヶ月の間は住んでいたので、簡単な自己紹介くらいは言えるつもりだったし、ゆっくり話してくれれば、何を言っているか何とか想像力を膨らまして少しは理解できると思っていた。しかし、撃沈…、先生の質問が分からない、自分の名前と出身地、職業は言えても、それ以上になると答えられない。

筆記試験もお手上げ状態。問題の意味が分からない。結果は下から2番目のクラス。一番したはABCのアルファベットも分からないくらいのレベルだというから、笑えない。

僕が入ったクラスは18人いて、7人前後は日本人、同じく韓国人も7人前後いて、あとは台湾、ブラジル、コロンビア、などだった。授業も当然100%英語で説明をする。分からない単語が多すぎて本当に困った、それと同時に先生の正しい発音の音と、自分が思う単語の音とが違うので苦労した。

BBQ
<課外授業と称して、週に何度かは野外BBQを行うことも>

自分が英語取得戦闘態勢に入っているなか、その他大勢の日本人はどうしていたかというと。授業中も日本語で話しかけてくる、休み時間は日本語同士で集まってグループを作り、休みの日も日本人グループで小旅行。もう旅行ついでに学校へ来ていて、英語が話せなくて日本へ帰る人の多いこと。。。殆どの人が、1年語学学校へ通っても、英語が話せないで帰国してしまう。英語取得は環境ではなく、自分次第なのだ。

僕は語学学校の中の日本人達からは嫌われ者でして、学校内では日本語で話しかけられても英語で答えていたし、まず日本人の近くに寄らなかった。一歩近づいてきたら一歩離れるような(笑) 学校の帰りも日本人がいたら目を合わせないようにしたり、「お願いだから日本語で話しかけないで」というオーラを全身から放出していた。

そうすると、休み時間などで、遠くの方から日本語で「ねぇあのYasuって言う人しってる?日本で美容師やってたんだって、英語でしか話さないなんて感じ悪い」ってヒソヒソと噂話が聞こえる。いやいや、英語を勉強しにきているのに、日本語で話している君たちこそ感じ悪い・・・とは言わなかったが(笑) 僕は人生の目標設定の一つが英語、だから勉強しに来ている、でも他の人たちはバカンスついでに英語学校に来ていると解釈していたので、腹も立たない。

同じ出身国同士が集まると言うのは日本人だけではなく、やはりそれぞれ同じ言語を話す人達でグループを作り、母国語で話すのは楽であろう、休み時間など色々な言語が飛び交う。全ての教室や休憩室に「英語以外の言語は禁止」なんて張り紙はあるものの空しいだけ。しかし、僕のように真剣に英語を学びたいという生徒も少ないがいる。類は友を呼ぶもので、志の強い人が集まって一つのグループを作っていくのだと感じた、みんなやはり英語で仕事をしたい、大学へ進んで勉強したいという、短期間で早く英語を取得したいという思いの人間でグループができ上がってきた。

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<僕の隣にいるのはフランス人のカミル、後ろにいる二人は恐らく韓国人で名前は覚えておらず。>

もう7年が過ぎた今でも、この中の何人かと交流がある。コロンビア出身の女の子は、今は大蔵省で勤めている。台湾の男の子は大学でエンジニアの勉強をしているし、タイの女の子は実は大富豪の娘だったり(笑) その反面、日本人同士で楽しく日本語で学校生活を楽しんでいた子達は、噂すらも聞かない、日本のどこかで立派に仕事をしていてくれればいいが。

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<コロンビア出身のヒメナ、今は国に戻って省庁のお役人である。>

まず、このオーストラリアで仕事を取るためには、IELTSという試験にパスしないと、専門学校や大学、永住権、労働ビザなど取得できないのである。国は英語力の無い人は勉強だけして住み着いてもらっては困ると言わんばかり。しかし、当たり前と言えば当たり前(笑)

最低点が0点~最高点9.0というIELTS(アイエルツ)英語能力認定テストで、レベル5.5程度の得点を取れればTAFEという州立の専門学校に入学できるし、永住権が申請できる(現在の永住権の申請には職種により5.0~7.0の幅がある)。これは日本の英検2級、国際コミュニケーション英語能力テスト「TOEIC」の650~700点に相当するレベル。

その見知らぬIETLS、ライティングは白紙を渡されエッセイ、スピーキングは試験官と一対一の面接、全て筆記式のリスニングにリーディング、とにかく試しに受けてみないことには、自分の勉強する方法、戦略が変わってくる。


早速受けてみた。


結果は「レベル2.0」。


そんな点数本当にあるんだと先生も驚き(笑)


正直笑えなかった。


英検5級や6級レベルって(涙)


どうやって英語力をあげていくか、これ無しでは英語人と仕事はできない、大きな壁が滞在2ヶ月目で立ちはだかった。

理屈じゃない、やるしかない。。。

第9話) 日本語は天敵

語学学校に行こうが、オーストラリアに住んでいようが、日本にいようが、環境で英語が身に付くとは思えない。語学は自分との戦いである。周りは関係ない。

語学学校に一週間通っても、週に25時間程度の授業である。先生は生徒に飽きさせないように歌を歌ったりゲームをしたり、色々と工夫しているのが伺える。 その25時間の中で、自分が英語を使って話する時間は合計して15分あるかどうかである、結局は英語を話せるようになるのは、教室の外でどうするかであ る。

ある言語学者が、こんなことを言っていたそうだ。「成人になっても、自分の母国語を100%ストップし、英語だけで生活をし、一年経てばネイティブに近い 英語を話せるようになる」との事。もちろん、日本語を100%ストップして、一年間何も喋らなくては意味がない。今まで日本語で話していた量、聞いていた 量、読み書きしていた量を全て英語に置き換えて生活するという条件であろう。

当時は、日本に婚約者を置いて来たので、100%の日本語をストップすると言うのは別れを意味する(笑) 自分の環境では80%なら日本語をストップできるだろうと判断をした。ちなみにその婚約者は今の嫁さんである。

今、7年前を振り返って、この日本語ストップ作戦が、とても効果的だった。当たり前だがネイティブの様になるなんて99.99%不可能だが、それでも英語を覚える近道だったのは間違いない。

まずは、英和、和英辞書は半分は日本語で書かれているので、ストップ。英英辞書、それもアメリカの辞書ではなく、オックスフォードやケンブリッジなどの英 語辞書を購入。いつも栞を5枚挟んでいた、と言うのは、一つの単語を調べるのに、その単語の説明文が解らないので、また単語を調べる、その単語も解らない 単語で説明してるので、また調べる、終いには、何の言葉を調べているのか分からなくなるので(笑)栞が必要だった。

なんで5枚かというと、キリがないので、5枚の栞を使用して分からない場合は英和辞書を調べるというルールを自分で作った。そして、調べた単語は、自分の ノートに「自分用の英英辞書」のような感じで、例文を交えて一個一個作った。こんな事して、英語を覚えれるのかなといつも疑問だった。

スピーキングや、ライティングの時は、和英辞書を使う必要があった。日本語は外来語で英語がカタカナになっているものが多いので、比較的名詞は覚えやすく 有難かった。しかし、形容詞や副詞、動詞は日本語訳とズレているので、和英辞書で調べても、必ず英英辞書でダブル・チェックしないと頓珍漢な英語を話して しまうので必須だ。

この英英辞書、3ヶ月でボロボロになってきて、一年後には手垢で真っ黒、テープで継ぎはぎな辞書となった。いつも読む本は英英辞書という徹底振りだった。

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ニュースも日本語では読まない、ビザの情報が欲しかったので、日本語フリーペーパーだけは読むようにしていたが、ネットでニュースなんかも読まなかった。もちろん日本語も聞かないように日本人は避け、読まない書かない聞かない喋らないを可能な限り通した。

やはり、何事もインプットが無ければ、アウトプットは有り得ないので、聞きまくり、読みまくりが最優先に必要なことだと思った。そうすると徐々に話すリズ ムや言い回し、イントネーションなどを覚えるし、エッセイを書く時もパターンが分かってくる。あとは単語力が付けば、一気に伸びる!


朝、目覚めて「Good Morning」から、「Good Night」と寝るまでの一日を英語で通さないと駄目だろうと、日本人の住んでいないシェアハウスを探した。David とVincent というオーストラリア生まれの二人が住んでいる家の一部屋を借りて共同生活が始まった。

このVincentが日本の電化製品大好きで、パソコンからポータブルCDプレイヤー、デジカメも何でも日本のメーカーを持っている。そして、僕が引越し して来た日から、質問攻めにあった。間違った発音をすると直してくれる、自分が聞きづらいので、知りたいことをスムーズに聞くためという単純な理由から だったが、有難いハウスメイトだ!
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この国は、本当に年齢なんて関係なく、まだ20歳くらいのVincentが、一回りも年上の僕を普通に接してくれる。日本の感覚だったら、いくら共同生活とはいえ、自分より5歳年上の人が住み始めたら、ある程度距離を置きたくなるものだろう。

時々、語学学校の終わる時間に迎えに来てくれて、色々と喋りながら、どこ行くわけでもなく、ただ30分の道のりを歩いて家に帰るだけなのだ(笑) それでも、いつも彼は何かを 質問してくれるので、僕は絶対に答えなら無くては駄目で、これが良い英語のトレーニングだった。
友達の家に行くって言って、一緒に連れて行かれ、20歳く らいの若い子達のマリファナパーティをこの目で見て驚いた。ちなみに、このVincentも僕もこっち系には手を出さず、彼は「やつらがマリファナパー ティしてるって知っていたら、行かなかったのにゴメン」と何度も謝ってくれた。僕にしてみれば、なかなか見れる光景じゃないので楽しかったが(笑)

もう一人のDavid、バイクが好きで、日本に2年くらい英語の先生をしていたので、日本の文化を良くしっていて、日本人の英語訛りもよく知っているの で、僕の英語の間違いを直してくれた。ただオージーは基本的に面倒くさがりなので、自分の生活ペースは乱さないように、気が向いたら英語を教えてくれる。 このDavidは自分の言いたい事をダ~っと話続け、永遠に話をしている。これはこれでリスニングの勉強になっていた。

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ただ異国人との共同生活は大変だった。まず、誰も掃除はしないので、放って置いたら末恐ろしいことになる。他人の事まで考えるという事をしないので、夜中まで音量を上げながらテレビをみたり、人が勉強していてもお構い無しに話し続けたり、そりゃマイペースな人たちでした。

しかし、このDavid・・・、僕のブリスベンでの美容師活動としての道のりに、後々まで重要なキーマンになるとは、この時は予想もしなかった。

この家は、部屋が一個余っていた。ある日「Yasu, 日本で美容師をやっていたのなら、この余った部屋を使って友達の髪とかやってあげてもいいよ」

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そう言ってくれて、余っている8畳間程度の部屋の改造計画が始まった。もちろん家賃は二部屋分払う約束でスタートした。

第10話)喋りまくる。

「海外へ出て、三ヶ月もしたら突然英語が聴き取れるようになり、一年もしたらペラペラになる」

絶対に有り得ません。みんな、そう思って留学するのですが、こっちに住んでいる日本人100人に聞いたら、100人とも同じ事を言います。語学取得は、そんな甘いものではありません。

・・・という事を、この第一章で説いてきたわけですが、
「それじゃー短期間でどうやったら、ある程度のレベルまで英語が身に付くんですか?」と質問を受けます。自分自身もまだまだ発展途上の段階なので、偉そうな事は言えませんが、結論としては。

「喋れるように成りたければ、喋りまくる」
「聴き取れるように成りたければ、聴きまくる」
「読めるように成りたければ、読みまくる」
「書けるように成りたければ、書きまくる」

そして、インプットが無ければ、アウトプットは有り得ない。

「聴けないと、喋れるようにならない」

「読めないと、書けるようにならない」

そして大事なことは、「頭の中で通訳・翻訳機能を使わない」

最初は英語で聴いた事を、読む文章を、「いちいち頭の中で日本語訳で訳して意味を理解する」のを止める。

例えば・・・
Over 14 years of experience in Japan and qualified in both Japanese and Australian hairdressing,

これを、英語で読んで、頭の中で日本語に翻訳しないで、そのまま意味を理解する訓練をする。頭の中で日本語で読まない。

次に、話をする時も、言いたい単語を日本語で探さず、英語の単語を頭の中で探す訓練をする。

もちろん、発音やイントネーション、文法も大切だけど、まずは日本語を使わない工夫をする。

ブ リスベンに渡って3週間が経過してから、オージー達との共同生活が始まって、その家のオーナーが、余っている部屋に上下水道を通してくれた。そこで友達の 髪を切ってよいという事で、そのデビットも、色々なアジア人の女の子が来ることを想定していたらしく、楽しみで仕方がないらしい(笑)
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<勉強机を改造して作ったシャンプー台>

当時の僕は日本人の友達がゼロだったので、お客さんはアジア人からスタートした。

クラスメイトの台湾人の男の子から始まり、一気に口コミで広がった。

予想しなかったのが、その自家製サロンが自分の英語の練習の場になったのである。

当たり前なのだが、お客さんの誰もが同じ質問をしてくる。

「日本はどこ出身?」
「美容師は何年の経験があるの?」
「どうしてブリスベン?」
「いつも何してるの?」
「ここのシェアハウスはどうやって見つけたの?」
「学校はどこに行ってるの?日本人は多い?」

この類の質問を、一週間に何十回って英語で答えていた。
そうすると、いつのまにか、頭の中で翻訳機能を停止しながら、直に英語で話せるようになっていく。自分のスピーキング力の取得は、学校ではなかった。

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自 分が語学学校を卒業して、TAFE(日本で言う職業訓練+短大のような教育機関)のビジネスコースに通っていた時は、やはり自分と同じ語学力のアジア人が お客さんとして集まるようになる、その中でもっとレベルアップした英会話が必要になり、そこでも毎日のように、同じ事を繰り返して「喋りまくる」。

そ うこうしているうちに、予約が3週間先まで埋まってしまうという状況が続いた。

宣伝の類は一切しなかった。それでも口コミとは恐ろしいもので、友達 が友達を連れてきて、忙しくなり、台湾人が日本人を連れてくるという逆の現象が起こって、日本人のお客さんも増えてきた。試験前なので休みというと「どう してだ!自分一人くらい切っても分からないだろう!」というお叱りの電話など日本人も含めて頂戴したこともあった。

ここまで忙しくなると、「潜り美容師」も限界だと思い、2年も経たずに屋号もない「シェアハウス・サロン」は閉店。職探しに出ることになったのだ。

当初は英語取得を目的として、アメリカに戻ろうかなんて思っていたのだが、このシェアハウス・サロンの年間の顧客数が半端な数ではなく、場所が悪くても、正しい事をしていれば口コミで広がり、十二分のビジネスチャンスがあると判断し、ブリスベンに残るのを決心した。

本格的に職を得る前に、もう少し勉強をしようと思い、前出のTAFEのビジネスを勉強した。これはオーストラリアの税金の知識や帳簿の付け方、初歩的な事では、電話の取り方からメモの残し方などを勉強できるコースだった。

こ のビジネスを勉強している時が、恐らく一生で一番勉強した時期だったであろう。もう勉強しても勉強しても課題をこなすのに必死。論文提出など 1500~2000単語(文字数ではない、単語数)でまとめるとか、その提出後にはプレゼンテーションが待ち受けていて、その頃の一日のスケジュールは
朝4時、5時 起床 勉強
朝7時30分 朝食
朝8時30分 学校到着 テキストに目を通す
朝9時 授業
午後3時 授業終わり、図書館へ 取り合えず宿題はその日に終わらし、勉強と論文整理とリサーチ
午後7時 帰宅・夕食
午後8時 単語の整理と復習
午後9時 消灯

そして、週3日の授業の無い日は仕事と、何もしない日など無かった。この時の僕の年齢・・・・日本で経験14年から想像してください。

この半年のコースで、語学学校とは全く違う、英文を読み書きするテクニックを学びました。そして帳簿の付け方と税の仕組みなど、オージー社会で生きていく制定限度必要なマナーや常識など。。。

やはり、海外で生き抜くための基本は言語。

次は、オージーのサロンで働くための準備として、オーストラリアの美容師科へ入学することに。

わざわざ、現地のコースを受ける目的は、
美容の技術を学ぶのではなく、

1、専門用語を英語で知る
2、英語でどうやって教えるのか先生の指導技術を盗む。
3、日豪の教育現場の違いを知る
4、お客さんとの英語での受け答え、英語でのコミュニケーションのテクニック。
5、オージーの美的センス

という理由だったので、学校選びは、絶対に日本人のいないところ。

片道1時間半、電車とバスを乗り継いで、校内にはコアラが昼寝しているような学校だった。

ある程度、身に付いた英語力と思っていたのだが、この100%オーストラリア人の環境に飛び込んだ時、自分の英語力の低さを思い知らされた。

外国人慣れしていないオージーは、僕の言っている英語が通じないのだ。

ここから、発音とイントネーションにこだわる訓練が始まった。