「第一章 ブリスベンと英語」カテゴリーアーカイブ

第1話) ブリスベンで有名になる。

<2007年夏>

英語環境の中で仕事をする、外国人の中でたった一人の日本人が自分、これが5年前に掲げた目標だった。今、こうして全員がオーストラリア人、正確に言えば多国籍な英語人に囲まれている。

南アフリカ生まれでイギリス育ちのポールはサロンのオーナー。

オーストラリア生まれのフィオーナは受付と経理全般を行なう頭の切れるシングルマザー。

全国大会チャンピオンという経歴のアンソニーはコテコテのオージー訛りの英語を話す。食べ物の話をいつもしている。

アイルランド生まれでアメリカ育ちのスチュアート、世界で一番大きなヘアカラーの会社でインストラクターをして世界を飛び回っていた経歴を持つカラーリスト。

中間生のケイティはどこから見ても今どきのオージーの女の子、目がクリクリしていて、いつも笑顔で超フレンドリーだ。

見習いのマギーはスペイン人の父とアメリカ人の母を持つオーストラリア生まれの可愛らしい女の子、よくアジア人の男の子から電話番号を聞かれたりしている。

一番下の見習い生は、ニュージーランド出身のマオイ族の血を引き継いでいるトレバー、ゲイだが優しい男の子?女の子?でアジア人のお客さんからも大人気!

スタッフ全員でクリスマス・イブの朝食(2005年12月)

    スタッフ全員でクリスマスの朝食(2005年12月)

全員が個性的でフレンドリーで、外国人の僕に対しても優しく接してくれるし、日本の技術の高さも大絶賛してくれる。カットに置いて、日本と西洋ではどう違うのかを説明したり、カラーにしても、アジア人の黒髪にどうして短時間でキレイに色が入るのか首をかしげて見てるトップカラーリストと、図を描きながらディスカッションする時もあった。自分の英語力アップにも最高の環境であった。

シャンプーをすれば、誰もが「こんなラグジュアリーなシャンプーは今まで経験した事がない!」と賞賛してくれる。オーナーから「全員、このジャパニーズシャンプーをYasuから教えてもらい取得すること」とお達しが出たくらいである。

高級店なので、料金設定も高めだし、お客さんもハイクラスのマダムが多い、職業も弁護士や歯科医、女性議員までいた。学生が入るようなサロンではないところに、僕のお客さん層は思い切り学生で「貴女がこの高級店に入るの?」って顔をされましたと言う日本人のお客さんも何人かいた。

スタッフ全員がお互いの仕事を、とにかく褒め合う、お客さんの足を止めて「ちょっとYasuのカット見せて下さい」ってクシを入れ「褒める」。日本のように足を引っ張っるような妬みや嫌がらせをしたりする人はいない、みんなが気持ちよく仕事をしている。


しかし、自分の仕事は当たり前のことを当たり前にやっているだけで特別な事は何一つない。誰でも出来る事を、誰もできないくらい正直に忠実に目の前の仕事をこなしているだけである。

このような環境下で働ける僕は、運もあったが、運も実力のうちだろうと自負できる部分もある。今までの道のりをブログに付けているのだが、あまり自分の実情を並べると「あんたの自慢話は聞きたくない」と投書がくるのだが、この現状を並べないと話が始まらないので少々我慢して聞いて欲しい。


今では、ブリスベン・ゴールドコースト地区で「ブリスベン美容師Yasu」を知らない人はいないくらいの有名人になってしまった。カット料金も他より高く、予約も忙しい時期には2~3週間以上待たされる人気の美容師。

カットして欲しい人も多いが、美容師Yasuのオージーと一緒に働くまでの道のりの話が聞きたくてカットしにくる学生さん、ブリスベンの美容学校に行っているという学生さん、日本の業界紙に載っていた美容師Yasuの記事を切り取ってブリスベンにまで会いに来て、一緒に写真を撮って帰る美容師さんもいた。

日本食のレストランへ行くと「あっ、もしかして美容師のYasuさんですね!」と気がつかれ、飲み物などをサービスをしてもらい、逆にこっちはチップを払って帰るという事も珍しくない。アジア人向けの食料店で納豆を買っていれば「Yasuさんが納豆買っていた」と噂になるくらいである。(笑)

「どこどこのバス停でバスを待っていた」「あそこで写真を撮っていた」「カメラバックを背負って○○ストリートを走っていた」などなど、いろいろな人が「Yasuさん~してましたよね!」って確認を求めてくる。

先日は在ブリスベン領事館のパーティで「Yasuさんですよね!頑張ってください」って握手を求められて、さすがに照れた。自分はこの3年間で、この180万人の都市ブリスベンの日本人コミュニティですっかり有名人になった。逆に札幌へ帰省したときには、「誰も僕のことを知らない」と安心するという、芸能人が海外へ行く気持ちが分かる、逆輸入?である。


これも実は5年前の目標に掲げていた事だった。自分はこの街で有名人になるために自分で自分をプロモーションしよう。
もしYasuという名前を聞いたら、まっすぐに「美容師のYasu」という答えが出てくるようにしよう。
ある人がアジア人の留学生に「日本人はどこで髪を切っているの?」って聞かれたら「Yasu」って答えがでるくらいになろう。



自分のブランドを確立するために戦略を立てなければ・・・。どうやって自分で自分をプロモーションしていこうか、あの手この手とアイデアを紙に書き出した。

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第8話) 語学取得は自分次第

ブリスベンに到着した翌日から語学学校が始まった。この日は初日と言うこともあってホームステイ先のホスト・ファザー、お父さんのトニーが学校まで車で送ってくれた。その車中、このトニーの英語が全然わからない、話かけてくれるのだけど、もう100%分からないのだ。。。聞き取れなかったら「Sorry?」って言うのはアメリカで覚えたのだが、なんども「Sorry?」で、最後には「I’m Sorry」で「ごめんなさい」であった。

だいたい語学学校と言えばビルの中にあり、この学校もビルの3フロアーが学校で、そこを細かく教室に分かれていて、生徒の英語力に分かれてクラス編成をしている。全校生徒が300人くらいいる当時では大きな語学学校だった。

このクラス編成は、レベル0(低)からレベル6(高)まで分けられていて、やはりレベルの高いクラスへ行くと、日本人は極端に少なくヨーロッパ人が多くなり、逆に低いクラスだと日本人、韓国人の比率は格段と上がる。目指すは上のクラスなのだが、4週間ごとに学校内で試験を行い、60点以上取らないと一つ上のクラスには上がれないシステムだった。

入学日は毎週月曜日に設定され、毎週毎週、多くの新入生が世界中からやってくる。それにしてもアジア人の多さ、日本人の多さにビックリした、8割はアジア人、その半分は日本人だった。初日の午前中はオリエンテーション、学校についての規則や注意事項について新入生に説明をする。

当たり前って言えば当たり前なのだが、全て英語で説明をするのだ。「その英語が分からないから勉強しにきたのに・・・」なんて心の中でつぶやいたが、各国から集まっている生徒の言語の全てに同時通訳するわけもない、国連会議じゃないのだから。

そのオリエンテーションの中で、先生が何度も言っていた言葉、「いんぽーたんと」「でぃふぃかると」。何回も何回も出てくるけど、意味がわからず。僕は手帳にカタカナでメモを。。。

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<2002年2月のメモ- しばらくこのスタイルが続く、先生の発した音をカタカナで書きとめ、スペルを想像して辞書で意味を探した>


今思えば、どうしてこんなに知らない単語が多いのか笑えるくらいだったけど、これを一個一個虱潰しのごとく覚えていくしかないと覚悟した。

午後の試験を受ける。筆記試験と先生と一対一の面接。そりゃアメリカに、日本人社会の中に居たとはいえ3ヶ月の間は住んでいたので、簡単な自己紹介くらいは言えるつもりだったし、ゆっくり話してくれれば、何を言っているか何とか想像力を膨らまして少しは理解できると思っていた。しかし、撃沈…、先生の質問が分からない、自分の名前と出身地、職業は言えても、それ以上になると答えられない。

筆記試験もお手上げ状態。問題の意味が分からない。結果は下から2番目のクラス。一番したはABCのアルファベットも分からないくらいのレベルだというから、笑えない。

僕が入ったクラスは18人いて、7人前後は日本人、同じく韓国人も7人前後いて、あとは台湾、ブラジル、コロンビア、などだった。授業も当然100%英語で説明をする。分からない単語が多すぎて本当に困った、それと同時に先生の正しい発音の音と、自分が思う単語の音とが違うので苦労した。

BBQ
<課外授業と称して、週に何度かは野外BBQを行うことも>

自分が英語取得戦闘態勢に入っているなか、その他大勢の日本人はどうしていたかというと。授業中も日本語で話しかけてくる、休み時間は日本語同士で集まってグループを作り、休みの日も日本人グループで小旅行。もう旅行ついでに学校へ来ていて、英語が話せなくて日本へ帰る人の多いこと。。。殆どの人が、1年語学学校へ通っても、英語が話せないで帰国してしまう。英語取得は環境ではなく、自分次第なのだ。

僕は語学学校の中の日本人達からは嫌われ者でして、学校内では日本語で話しかけられても英語で答えていたし、まず日本人の近くに寄らなかった。一歩近づいてきたら一歩離れるような(笑) 学校の帰りも日本人がいたら目を合わせないようにしたり、「お願いだから日本語で話しかけないで」というオーラを全身から放出していた。

そうすると、休み時間などで、遠くの方から日本語で「ねぇあのYasuって言う人しってる?日本で美容師やってたんだって、英語でしか話さないなんて感じ悪い」ってヒソヒソと噂話が聞こえる。いやいや、英語を勉強しにきているのに、日本語で話している君たちこそ感じ悪い・・・とは言わなかったが(笑) 僕は人生の目標設定の一つが英語、だから勉強しに来ている、でも他の人たちはバカンスついでに英語学校に来ていると解釈していたので、腹も立たない。

同じ出身国同士が集まると言うのは日本人だけではなく、やはりそれぞれ同じ言語を話す人達でグループを作り、母国語で話すのは楽であろう、休み時間など色々な言語が飛び交う。全ての教室や休憩室に「英語以外の言語は禁止」なんて張り紙はあるものの空しいだけ。しかし、僕のように真剣に英語を学びたいという生徒も少ないがいる。類は友を呼ぶもので、志の強い人が集まって一つのグループを作っていくのだと感じた、みんなやはり英語で仕事をしたい、大学へ進んで勉強したいという、短期間で早く英語を取得したいという思いの人間でグループができ上がってきた。

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<僕の隣にいるのはフランス人のカミル、後ろにいる二人は恐らく韓国人で名前は覚えておらず。>

もう7年が過ぎた今でも、この中の何人かと交流がある。コロンビア出身の女の子は、今は大蔵省で勤めている。台湾の男の子は大学でエンジニアの勉強をしているし、タイの女の子は実は大富豪の娘だったり(笑) その反面、日本人同士で楽しく日本語で学校生活を楽しんでいた子達は、噂すらも聞かない、日本のどこかで立派に仕事をしていてくれればいいが。

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<コロンビア出身のヒメナ、今は国に戻って省庁のお役人である。>

まず、このオーストラリアで仕事を取るためには、IELTSという試験にパスしないと、専門学校や大学、永住権、労働ビザなど取得できないのである。国は英語力の無い人は勉強だけして住み着いてもらっては困ると言わんばかり。しかし、当たり前と言えば当たり前(笑)

最低点が0点~最高点9.0というIELTS(アイエルツ)英語能力認定テストで、レベル5.5程度の得点を取れればTAFEという州立の専門学校に入学できるし、永住権が申請できる(現在の永住権の申請には職種により5.0~7.0の幅がある)。これは日本の英検2級、国際コミュニケーション英語能力テスト「TOEIC」の650~700点に相当するレベル。

その見知らぬIETLS、ライティングは白紙を渡されエッセイ、スピーキングは試験官と一対一の面接、全て筆記式のリスニングにリーディング、とにかく試しに受けてみないことには、自分の勉強する方法、戦略が変わってくる。


早速受けてみた。


結果は「レベル2.0」。


そんな点数本当にあるんだと先生も驚き(笑)


正直笑えなかった。


英検5級や6級レベルって(涙)


どうやって英語力をあげていくか、これ無しでは英語人と仕事はできない、大きな壁が滞在2ヶ月目で立ちはだかった。

理屈じゃない、やるしかない。。。