第10話)喋りまくる。

「海外へ出て、三ヶ月もしたら突然英語が聴き取れるようになり、一年もしたらペラペラになる」

絶対に有り得ません。みんな、そう思って留学するのですが、こっちに住んでいる日本人100人に聞いたら、100人とも同じ事を言います。語学取得は、そんな甘いものではありません。

・・・という事を、この第一章で説いてきたわけですが、
「それじゃー短期間でどうやったら、ある程度のレベルまで英語が身に付くんですか?」と質問を受けます。自分自身もまだまだ発展途上の段階なので、偉そうな事は言えませんが、結論としては。

「喋れるように成りたければ、喋りまくる」
「聴き取れるように成りたければ、聴きまくる」
「読めるように成りたければ、読みまくる」
「書けるように成りたければ、書きまくる」

そして、インプットが無ければ、アウトプットは有り得ない。

「聴けないと、喋れるようにならない」

「読めないと、書けるようにならない」

そして大事なことは、「頭の中で通訳・翻訳機能を使わない」

最初は英語で聴いた事を、読む文章を、「いちいち頭の中で日本語訳で訳して意味を理解する」のを止める。

例えば・・・
Over 14 years of experience in Japan and qualified in both Japanese and Australian hairdressing,

これを、英語で読んで、頭の中で日本語に翻訳しないで、そのまま意味を理解する訓練をする。頭の中で日本語で読まない。

次に、話をする時も、言いたい単語を日本語で探さず、英語の単語を頭の中で探す訓練をする。

もちろん、発音やイントネーション、文法も大切だけど、まずは日本語を使わない工夫をする。

ブ リスベンに渡って3週間が経過してから、オージー達との共同生活が始まって、その家のオーナーが、余っている部屋に上下水道を通してくれた。そこで友達の 髪を切ってよいという事で、そのデビットも、色々なアジア人の女の子が来ることを想定していたらしく、楽しみで仕方がないらしい(笑)
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<勉強机を改造して作ったシャンプー台>

当時の僕は日本人の友達がゼロだったので、お客さんはアジア人からスタートした。

クラスメイトの台湾人の男の子から始まり、一気に口コミで広がった。

予想しなかったのが、その自家製サロンが自分の英語の練習の場になったのである。

当たり前なのだが、お客さんの誰もが同じ質問をしてくる。

「日本はどこ出身?」
「美容師は何年の経験があるの?」
「どうしてブリスベン?」
「いつも何してるの?」
「ここのシェアハウスはどうやって見つけたの?」
「学校はどこに行ってるの?日本人は多い?」

この類の質問を、一週間に何十回って英語で答えていた。
そうすると、いつのまにか、頭の中で翻訳機能を停止しながら、直に英語で話せるようになっていく。自分のスピーキング力の取得は、学校ではなかった。

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自 分が語学学校を卒業して、TAFE(日本で言う職業訓練+短大のような教育機関)のビジネスコースに通っていた時は、やはり自分と同じ語学力のアジア人が お客さんとして集まるようになる、その中でもっとレベルアップした英会話が必要になり、そこでも毎日のように、同じ事を繰り返して「喋りまくる」。

そ うこうしているうちに、予約が3週間先まで埋まってしまうという状況が続いた。

宣伝の類は一切しなかった。それでも口コミとは恐ろしいもので、友達 が友達を連れてきて、忙しくなり、台湾人が日本人を連れてくるという逆の現象が起こって、日本人のお客さんも増えてきた。試験前なので休みというと「どう してだ!自分一人くらい切っても分からないだろう!」というお叱りの電話など日本人も含めて頂戴したこともあった。

ここまで忙しくなると、「潜り美容師」も限界だと思い、2年も経たずに屋号もない「シェアハウス・サロン」は閉店。職探しに出ることになったのだ。

当初は英語取得を目的として、アメリカに戻ろうかなんて思っていたのだが、このシェアハウス・サロンの年間の顧客数が半端な数ではなく、場所が悪くても、正しい事をしていれば口コミで広がり、十二分のビジネスチャンスがあると判断し、ブリスベンに残るのを決心した。

本格的に職を得る前に、もう少し勉強をしようと思い、前出のTAFEのビジネスを勉強した。これはオーストラリアの税金の知識や帳簿の付け方、初歩的な事では、電話の取り方からメモの残し方などを勉強できるコースだった。

こ のビジネスを勉強している時が、恐らく一生で一番勉強した時期だったであろう。もう勉強しても勉強しても課題をこなすのに必死。論文提出など 1500~2000単語(文字数ではない、単語数)でまとめるとか、その提出後にはプレゼンテーションが待ち受けていて、その頃の一日のスケジュールは
朝4時、5時 起床 勉強
朝7時30分 朝食
朝8時30分 学校到着 テキストに目を通す
朝9時 授業
午後3時 授業終わり、図書館へ 取り合えず宿題はその日に終わらし、勉強と論文整理とリサーチ
午後7時 帰宅・夕食
午後8時 単語の整理と復習
午後9時 消灯

そして、週3日の授業の無い日は仕事と、何もしない日など無かった。この時の僕の年齢・・・・日本で経験14年から想像してください。

この半年のコースで、語学学校とは全く違う、英文を読み書きするテクニックを学びました。そして帳簿の付け方と税の仕組みなど、オージー社会で生きていく制定限度必要なマナーや常識など。。。

やはり、海外で生き抜くための基本は言語。

次は、オージーのサロンで働くための準備として、オーストラリアの美容師科へ入学することに。

わざわざ、現地のコースを受ける目的は、
美容の技術を学ぶのではなく、

1、専門用語を英語で知る
2、英語でどうやって教えるのか先生の指導技術を盗む。
3、日豪の教育現場の違いを知る
4、お客さんとの英語での受け答え、英語でのコミュニケーションのテクニック。
5、オージーの美的センス

という理由だったので、学校選びは、絶対に日本人のいないところ。

片道1時間半、電車とバスを乗り継いで、校内にはコアラが昼寝しているような学校だった。

ある程度、身に付いた英語力と思っていたのだが、この100%オーストラリア人の環境に飛び込んだ時、自分の英語力の低さを思い知らされた。

外国人慣れしていないオージーは、僕の言っている英語が通じないのだ。

ここから、発音とイントネーションにこだわる訓練が始まった。

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